ランチア博物館

ランチアラリー037:LANCIA RALLY 037

ランチアラリー037:LANCIA RALLY 037

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ランチアラリー037 スペック

  • エンジン形式 水冷直列4気筒DOHC+SC(スーパーチャージャー)
  • 排気量 1995cc
  • ボア×ストローク 84×90mm
  • 圧縮比 7.5 : 1
  • 燃料供給 Weber 40DCNVH15/250
  • ギアボックス 5MT
  • 最大出力 205hp/7000rpm
  • 最大トルク 23kg-m/5000rpm
  • 車重 1170kg
  • 駆動形式 MR

ランチアラリー037:LANCIA RALLY 037

1982年、WRCのレギュレーションがそれまでのグループ4からグループBに移行するのにともない、フィアットがランチア・ブランドで開発したWRCマシンがLanica Rally 037である。

ランチア・ラリー037は、四輪駆動のラリーカーが時代の趨勢となる中で、ミッドシップエンジン・リヤドライブ(MR)方式では最後のタイトル獲得車となった。

正式な車名は単に「ラリー」。この当時すでにAudi Quattoroが4WDマシンの優位性を証明していたが、アバルトが選んだのはミッドシップ・レイアウト+後輪駆動だった。これは、ランチアがそれまでLancia Stratos(ランチアストラトス)で培ってきた経験・信頼性を生かすとともに、ミッドシップが整備性に優れているからである。

FISAから日本でいうJAFにあたるイタリア自動車クラブに交付されたグループBの承認書には、Lancia Rally (151 AR0)と記されている。

一般には開発を担当したアバルトの開発コード「SE037」の037を取って037ラリー、ラリー037と呼ばれている。

037という名前は開発の中心となったアバルトでの開発コードネーム、ABARTH SE037に由来され、開発コード「SE037」の037を取って037ラリー、ラリー037と呼ばれている。

型式名はZLA151ARO。ベースとなったベータ・モンテカルロ(ZLA137ASO)が元々フィアットの計画による低価格ミッドシップスポーツクーペのひとつ、X1/20であったため、この車種もランチアの800番台ではなくフィアットの100番台となっている。(なお、ベータが828、ストラトスHFが829、ガンマが830、デルタが831である)

ボディ・デザインはピニンファリーナ、シャシーはジャンパオロ・ダラーラ、そしてエンジンをアバルトが担当した。

デビューは1982年のツール・ド・コルス。すでにフルタイム四輪駆動とターボエンジンを装備したアウディ・クワトロが台頭してきていた。

しかしランチア/アバルトは、当時フルタイム四輪駆動は未舗装路のためのものであるという雰囲気であったこと、開発期間の短縮、ストラトスで培った技術の応用、整備性の良さなどから、ミッドシップエンジン・リヤドライブ(MR)方式を採用した。

シャシーは、Lancia Beta Montecalroのセンター・モノコックをベース。そこに被せられるボディは、ピニンファリーナ・デザインの流麗なFRP製。サスペンションは前後とも鋼管溶接のアームによるダブルウイッシュボーンとなっている。

エンジンは、1960年代のデビュー以来Fiat 131 Abarth Rallyで熟成した16バルブDOHCエンジンをベースに、アバルトの開発したヴォルメトリーコと呼ばれるルーツ式スーパーチャージャーを組み合わせている。エンジンヘッドにはABARTHのロゴが刻まれている。

フィアット124アバルトラリーとフィアット131アバルトラリーを経て熟成が薦められてきた通称ランプレディ・ユニットが採用された。

ベースとなったベータ・モンテカルロは同ユニットを横置きに搭載していたが、ランチア・ラリー037では運動性向上のために縦置きにされ、さらに出力向上のためにアバルトが開発したルーツ式スーパーチャージャーが追加された。

過給エンジンはすでにグループ5レーシングカー、ストラトス・ターボやベータ・モンテカルロ・ターボで経験があったものの、高過給ターボエンジンの急激に立ち上がるトルク特性はラリーに向いていないとの判断した。

ターボではなくスーパーチャージャーを採用したのは、ターボ・ラグを嫌った点と低中回転でのトルクを重要視したためである。

上記のスペックは公道仕様(ストラダーレ)のものだが、実戦に投入されたマシン(コンペティツィオーネ)は1000kgを切る軽量化ボディに約300HPを発するエンジンが搭載された。

デビュー当初、1998ccスーパーチャージャーを積んでいたEvolutione Iから、1983年中期から翌1984年にかけて、排気量を2111ccとし、大型のルーツ式スーパーチャージャーとその加圧吸気の冷却に冷却水噴射システムを採用するなどしたEvolutione IIが投入された。
(当時の過給器係数1.4を掛けて、3000cc未満の排気量クラスとなる2111cc)

ハイブースト化による低中速トルクの増強とともに、最大出力も向上が見られ、290〜325HP、ターマック中心のスプリント・ラリーでは370HPまでのチューンが施された。最終型のEvolutione IIIはチタン部材を多用することで、960kgまで軽量化が成されているバケモノマシンである。

グループBのホモロゲーションにより200台が生産され、そのうちの約50台がワークス活動に投入されたとされる。

日本では当時のインポーターであるガレーヂ伊太利屋によって、ラリー車両のベースとなったノーマル公道仕様の037が、ごく少数が輸入された。当時の車両本体価格は980万円だった。

LANCIA RALLY 037 WRCでの活躍

WRC参戦2年目の1983年は、マルク・アレンとワルター・レアルというドライバーを配し、開幕のモンテカルロで1・2フィニッシュを飾る。

第3戦ツール・ド・コルス、第4戦アクロポリス・ラリー、第5戦ニュージーランド・ラリーおよび最終戦サンレモ・ラリーで優勝するなどし、Audi Quattoroを抑えて見事メイクス・タイトルを獲得した。

翌1984年は、ツール・ド・コルスで勝利する以外は4WD勢に押さえられ、シリーズ2位でシーズンを終えた。

このころからWRCの主流は完全に4WDマシンとなり、1985年最終戦にLanica Delta S4がデビューするとともに、Lancia Rally 037はその役目を終えた。

4WDマシン優位の中にあって敢えてミッドシップ+後輪駆動で挑んだRally037は最後のMRマシンであった。

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